大川小学校を訪れて思うこと。避難所のあり方は本当に大丈夫なのか
先週、大川小学校を見てきた。
ちょうど定休日だったので、校舎の中には入れず、外から見てきた。
その後、ふと、先日道の駅から持ち帰ったパンフレットを開いてみた。
これまで私は、大川小学校では、山へ逃げる時間もなく、児童たちが全員で校舎に避難し、津波に襲われて亡くなったのだと思っていた。
ところが、パンフレットに書かれていた内容は、私が思っていたものとは違っていた。
山へ逃げようとした児童もいた。しかし、いったん動き出した避難の動きが止められ、結果として全員で校庭にとどまることになったという。
つまり、避難するための時間がまったくなかったわけではない。
もし、あのとき山へ避難していたら、助かった命があったのではないか。
そう考えると、何ともやりきれない気持ちになる。
もちろん、当時の状況や判断の難しさを簡単に語ることはできない。それでも、助かったかもしれない子どもたちの命が失われたという事実は、あまりにも重い。
大川小学校は、ただ悲惨な出来事があった場所というだけではない。災害が起きたとき、どのように判断し、どう行動するべきなのかを、私たちに問いかけている場所なのだと思う。
帰り道、石巻の道の駅に併設されている温泉で休んでいたときのこと。
地元の方言が混じった会話が聞こえてきた。
その中で、こんな言葉が耳に残った。
「昼間っから風呂入ってる幸せと思わなきゃ。」
すると、相手が「地震の時……」と話し始めた。
方言の中で、その言葉だけが私の耳に入ってきた。
地元の人たちにとって、あの日の地震や津波は、今も身近な記憶なのだろう。
何気なく温泉に入れること。普段どおりの生活を送れること。
そんな当たり前の日常が、どれほどありがたいことなのか。あの場所にいたからこそ、改めて考えさせられた。
そして、もう一つ考えたことがある。
羽咋市で水害が起きたときのことだ。
避難所となったのは、昔からある文化会館だった。しかし、水が出てしまい、そこへ行くことができなかった。
避難するための場所があっても、そこまでたどり着けなければ意味がない。
災害の種類や規模によっては、いつもの避難所が安全とは限らない。地震や津波だけでなく、大雨による浸水や土砂災害なども考えなければならない。
そもそも、その避難所は本当に安全なのか。災害が起きたとき、そこまでの道は通れるのか。別の場所へ逃げる必要が生じた場合、次の行き先は決まっているのか。
そうしたことを、普段から真剣に考えておく必要があるのではないだろうか。
自分の住んでいる地域の避難所は大丈夫なのか。
指定されているから安心、というわけではない。災害の状況によっては、避難所そのものや、そこへ向かう道が危険になることもある。
大川小学校で起きたことも、羽咋市の水害で感じたことも、決して別々の問題ではないと思う。
災害が起きたとき、どこへ逃げるのか。誰が判断するのか。そして、本当に命を守れる場所なのか。
いざというときに考え始めるのでは遅い。
自分の地域の避難所や避難経路について、もう一度確認してみようと思う。
そして、災害対策を行政任せにするのではなく、地域全体で真剣に考えていかなければならないのかもしれない。